小麦のお話(1/2)

以下の小麦についてのお話は、以前にもご紹介したことのあるお話です。


けれど、忘れてはならない話と思いますので、何度でも掲載したいと思います。

なぜなら、明治維新で鎖国を解いた日本が、世界に貢献したものが二つあるからです。

ひとつは、第一次世界大戦後から戦後に至る間に、世界の植民地支配を終焉させたこと。
誰が何と言おうと、日本がいなければ植民地時代はいまだに終わっていません。

もうひとつが小麦です。
世界の人口というのは、究極的にみれば、食べ物がある分しか、人は増えることができない。
ちょっと考えれば、誰にでもわかることです。

日本では、縄文時代の人口が、約2万人。
鎌倉時代の人口が、約700万人です。
そして江戸時代後期には、日本の人口は約3000万人に増えていますが、これは江戸時代初期から中期にかけて、全国でものすごい勢いで新田開発を行った結果です。

明治から昭和にかけても、日本の人口は約3倍に増えていますが、これは食糧輸入が始まったことと、作付けが改善されて収穫量が激増したこと、それと満州など国外の耕地が開墾されたことによります。

また世界の人口は、大東亜戦争終結のころは20億人でした。
けれどいま、世界の人口は70億人に達しようとしています。

なぜそんなに増えたかといえば、食べ物、とりわけ世界の多くの国々が主食としている小麦の生産高が激増したことによります。
そして、なぜ小麦の収量が増えたかといえば、それは日本で開発された農林10号と呼ばれる新種の小麦が世界に普及したことによります。

このことは、私たちは絶対に忘れてはならないことだと思います。

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小麦は、米、トウモロコシと並ぶ世界三大穀物のひとつです。
なかでもいちばん生産量(消費量)が大きいのが小麦。
パンやパスタが主食となる欧米では、小麦は、国家の食糧自給のための最重要品目です。

ですからどこの国でも小麦の生産は国が統括しています。
あたりまえです。
国民あっての政府なのです。
何よりも自国民の食を最優先する。
国が管理し備蓄しなければ、万一の際に国民が飢えてしまいます。

従っていずれの国においても国内で生産された小麦は、まず自国で消費備蓄する分を政府が優先して確保します。
余った分だけ、輸出にまわります。
凶作で余らなければ、輸出はありません。

こうなる困るのは輸入国のほうですが、ところが日本では、かつては全国どこにでもみられた麦畑が、いまではほとんど見かけられなくなりました。
自給率が百パーセントあった小麦は、いまでは年間消費量約600万トンのうちの90%を輸入に頼るようになっているのです。

輸入先は一位米国、二位カナダ、三位オーストラリアです。
なぜか大東亜戦争の戦勝国たちです。
そしていま、我が国が輸入している小麦は、実は日本生まれの小麦です。

昭和20年、戦勝国として日本に乗り込んだGHQは、日本が開発し研究してた農作物の新種の種子を大量に収集し米本国に送りました。
それはそれはすさまじいもので、根こそぎ全部持って行ったのです。

この中心となったのが米国人農学者のS・C・サーモンです。
彼はGHQの農業顧問として来日し、そして日本で開発された「農林一〇号」と名付けられた小麦のウワサを聞きつけます。
そして岩手の国立農業試験場まで、自ら出向くと、収穫前の「農林一〇号」を視察しています。

そこで彼が見たもの。
それは、これまで世界の誰もが目にしたことのない新種の小麦だったのです。
まさに驚愕の歴史がここにはじまります。

当時、世界で生産されていた小麦は、背の高い小麦です。
収穫時の高さは1m20cmくらいになります。ところが「農林一〇号」は、背丈が60cmくらいです。
そのくせたわわに稔った実は、米国産の小麦の数倍です。

実はこのことは小麦の栽培にあたって、とても重要なことなのです。
背丈が半分ということは、地面から吸い取る栄養分が、背の高い品種の八分の一ですむということです。
葉や茎に要する栄養分が少ないからです。

ところがそれまで世界で生産されていた小麦は、背が高く、大きくて、実が少なかったのです。
小麦の収量をあげるためには、とにかく密度を濃くして植えるしかない。
なので、苗から苗までを、およそ15cm間隔で植えたといいます。
すさまじいです。
稔る頃にはものすごい密度になる。

ところがこれをやると、農地の栄養分がまたたくまに吸い取られ、土地が痩せてしまうのです。
このため何年に一度は土地を休ませないといけなくなる。
つまり広大な農地が遊休地になるのです。
当然、その分、収穫高が落ちる。

ところが「農林10号」は、なんと五〇センチ間隔で植えられるのです。
しかも背が低く茎と葉が小さい。
だから余計な栄養分を地面から吸わない。
それでいて背の高い小麦より、はるかにたくさんの実を稔らせる。
つまり、土地が枯れない。
しかも単位面積あたりの小麦の収穫量は、当時の米国産小麦の三?五倍です。

農学者のサーモンは、驚愕し、「農林一〇号」の種子を全部集めて東京に持ち帰り、米本国の農業学者たちにこの種子を「ノーリン・テン」の名前で送ってしまったのです。

この種子を受け取ったなかのひとりが、ワシントン州のO・A・フォーゲルでした。
彼は、サーモンから入手した「ノーリン・テン」を栽培し、量を増やし、新型小麦「ゲインズ」という名前で、全米の農家に売りに出しました。

この種子は全米で大当たりします。
全米で驚異的な出来高をあげたのです。
小麦の収量は、一気に4倍にも膨れ上がったのです。

「ゲインズ」が、大当たりしたことには、もうひとつのファクターがあります。
それは「ゲインズ」が背が低かったことです。
なぜ背が低いのが喜ばれたかというと、背が低くて安定しているから、たわわに実を稔らせても麦の茎が倒れないのです。

栽培途中で倒れた麦は収穫できません。
倒れないということが、いかに大事なことか、おわかりいただけようかと思います。

さて、このゲインズの噂を聞きつけたのが、メキシコで農業研究をしていた米国人農学博士ノーマン・ボーローグです。
彼がどうしてメキシコで小麦の研究をしていたかというと、メキシコは高温多湿で地味が肥えているから、小麦の栽培に適していたからです。

ところがメキシコには小麦にサビ病という風土病があります。
これが発生すると収穫が激減し、その都度メキシコは飢饉に見舞われていたのです。

ボーローグは自らメキシコに出向き、伝染病に強い小麦を研究していました。
そしてようやく病気につよい品種を完成したのです。
彼は狂喜しました。

けれど、ダメだったんです。
彼が完成した小麦は、背が高くて、病気に強く、稔りが多いのです。

これだけ聞くといっけん完璧なようですが、稔りが多くて背が高いから、麦が収穫前に倒れてしまうのです。
倒れた小麦は育たず、収穫できません。
結果ボーローグの開発した新種の小麦は、肝心の収穫高がむしろ「減ってしまった」のです。
これではなんのために開発したのかわかりません。

※明日のメルマガに続く

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