【沖縄が危ない】沖縄紙に載らない中国公船と巡視船の攻防 隣国のピリピリ感との落差 ★(1)
沖縄はもとより、日本全国が終戦記念日(8月15日)には「不戦」を誓う。平和こそ正常であり、戦争とは何か異常な状態であるという刷り込みが日本人にはある。しかし、最近会った中国帰りの米国人記者に、そんな常識を覆された。
彼は尖閣問題を取材するため、尖閣諸島を行政区に抱える沖縄県石垣市にやってきた。そこで彼が驚いたのは、住民にほとんど緊張感が感じられないことだった。彼はこう言った。
「尖閣問題の最前線だからピリピリしているかと思ったが…。中国では、国民も『尖閣奪還のためなら戦争も辞さない』という雰囲気ですよ」
石垣市民は確かに尖閣問題への不安を抱えているが、「まさか戦争まではないだろう」と楽観視している。隣国が戦争覚悟でいきり立っている現実を十分には知らない。
中国公船「海警」は2、3隻態勢で尖閣周辺を連日航行しており、日本の巡視船が警告すると、逆に退去を要求してくる。中国が尖閣の強奪に断固たる決意を抱いているのは、誰の目にも明らかだ。
もちろん、すぐに戦争が起きるというシナリオは考えにくい。だが、海警が増派されて、巡視船が圧倒された場合、中国が戦わずして尖閣の実効支配を奪取する可能性もある。これは南シナ海で現に起きている事態だ。
ところが、中国公船と巡視船の攻防は、沖縄本島の新聞にはほとんど載らない。尖閣問題に対する無関心が「反戦平和」の証しであると勘違いしているようだ。沖縄県民もマスコミも、いまだに泰平の眠りから完全には覚めていない。
日本政府は、日本最西端の与那国島で自衛隊配備を進めるなど、中国に対する備えを固めつつある。だが、それだけで果たして十分だろうか。住民自らが「自分の国は自分で守る」という気概を持つこと、いわば「魂の安全保障」こそ、現に求められているのではないか。民主主義社会では、政府を動かすのは、結局は住民の声だからだ。
「尖閣問題はどうすれば解決できるか」という私の問いに、前述の米国人記者は「安倍晋三首相が靖国参拝のような挑発行為をやめ、中国の心情に配慮すればいい」と答えた。
オバマ米大統領が「日米安保は尖閣にも適用される」と明言したことに日本人は欣喜雀躍(きんきじゃくやく=小躍りするほど喜ぶこと)したが、米国人の本音とはこの程度のものである。米国が守ってくれるというのは幻想だ。
韓国に不法占拠されている島根県・竹島の問題も、今や地元では、住民の関心喚起が大きな課題になっているという。武力衝突という最悪の事態、あるいは尖閣が気づいたら竹島になっていた-という大失態を防ぐためにも、沖縄に「魂の安全保障」を確立することが急務だ。
【沖縄が危ない】常軌を逸した県紙の報道 普天間県内移設で反対一色 ★(2)
2014.08.13
米軍普天間飛行場
沖縄県知事選(10月30日告示、11月16日投開票)まで、3カ月に迫った。最大の争点は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題で、昨年12月に県内移設を承認した現職の仲井真弘多知事(74)に対し、移設反対派は那覇市長の翁長雄志氏(63)を擁立した。元郵政民営化担当相の下地幹郎氏(52)も出馬表明している。
政府は、普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設計画を進めているが、沖縄の県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」は連日、反対する論陣を張っており「事実上、翁長氏寄りの報道だ」との批判も出ている。
現に2紙は、県内移設をあたかも犯罪と同一視するような論調で、批判報道を展開している。
仲井真氏が昨年12月、移設に向けた埋め立てを承認した際には、琉球新報は1面に「即刻辞職し信を問え 民意に背く歴史的汚点」と題した社説を掲載した。沖縄タイムスは見開きで50人以上もの「県民の声」を顔写真入りで載せ、何と全員が県内移設反対の意見というありさまだった。
県内移設に賛成する県民も存在するのだから、公器である新聞の「公正・中立」という観点からすれば、2紙の報道は常軌を逸している。結果的に、翁長氏に正義があるというイメージを県民に与えてしまう。
県紙の記者にその点を聞くと、「県民が支持しているからこそ、沖縄ではこうした論調の新聞だけが生き残った」と答える。しかし、世論があってマスコミがあるのか、マスコミが世論を作っているのか、現状では正直なところ分からない。
知事選報道で、県紙が「翁長氏寄り」と言われる理由は、普天間飛行場移設問題の報道だけではない。
翁長氏は現在、那覇市が目抜き通りで建設を計画している「龍柱」(龍の形をした柱)をめぐり、保守系の市民らから厳しい批判を浴びている。建設の財源は国から支給される一括交付金2億5000万円だが、市は中国に発注する方針なのだ。
ある県議は「県内に発注すれば安く、雇用創出にもなるのに、なぜ中国なのか。ずっと指摘してきたが、翁長氏に対する批判記事は新聞にほとんど載らない」と不満をぶつけた。
自民党の世論調査では、翁長氏が優勢だという。県紙の紙面づくりを見ていると、報道がそうしたムードづくりに一役買っている印象は否めない。
ただし、日本は民主主義国家であり、報道への抑圧は許されない。沖縄県知事選で問われているのは報道の在り方ではなく、県民が報道から得られる情報をどう取捨選択するかという、有権者としての成熟度だろう。
【沖縄が危ない】石垣島「みのかさ部隊」の真実 私服に鉄かぶと姿で飛行場の建設、補修 ★(3)
2014.08.14
沖縄戦で、石垣島は来襲する米軍を迎え撃つ特攻基地の1つだった。当時、島東部にあった旧陸軍白保飛行場からは、多数の特攻機が飛び立った。この飛行場の建設や補修に従事したのが、1944年に、地元住民から召集された506特設警備工兵隊、別名・郷土防衛隊、そして愛称「みのかさ部隊」だ。
なぜ、「みのかさ」なのか?
物資不足の折で軍服は配給されず、着衣はすべて私服だったからだ。当時を知る宮良祐八さん(87)は「雨が降ると、みのかさ姿だった。頭には2、3ミリの薄い鉄板を切り取った鉄かぶとをかぶっていた」と振り返る。靴のない者はわらじを履き、野良仕事のため田畑に出かける格好そのままだったという。
敵機は日本の特攻機を防ごうと、白保飛行場に連日の爆撃を浴びせた。みのかさ部隊は特攻機の離着陸を可能にするため、敵機が去るのを待ち、モッコで土を運び、スコップで弾痕の穴を埋めた。
作業中に敵機が来襲し、機銃掃射を浴びせることもしばしばで、犠牲者が続出した。部隊の一員だった故石垣正二さんは回想録で「血のにじむような思いで補修したら、翌日はまた(敵機が)来襲して破壊していくという具合で、連日の出動に兵は精根も尽き果てていた」と語る。
それでも作業は沖縄戦終結まで続き、みのかさ部隊は「八重山諸島の戦闘では最も功績が多い」と言われたという。
だが、現在の石垣島で、みのかさ部隊の奮闘が学校で教えられることはない。地元関係者は「敗戦で軍事を語ることがタブーになり、忘れ去られた」と話す。
郷土史家の石垣繁さん(76)は「戦争になったら自衛隊だけが戦うと思っている人が多いが、最後は住民も戦わなくてはならなくなる」といい、みのかさ部隊の「教訓」を指摘する。心ならずも召集された住民たちではあったが、70年前の先人たちは、極限状態で死力を尽くした。
沖縄の平和教育では、戦闘に巻き込まれた住民たちが逃げ惑い、日本軍に虐待され、ついには死に追い込まれた、としか教えない。
しかし、石垣島から出撃した特攻隊や、その出撃を後方支援したみのかさ部隊のように、危機に立ち向かった勇敢な人々もいた。彼らは英雄ではなかったかもしれないが、英雄的な人たちだった。
もし、「有事」が再来したらどうなるか。尖閣諸島を抱える八重山諸島では、それは絵空事ではない不安だ。特攻隊や、みのかさ部隊を教えない沖縄の平和教育からは、「白旗を掲げてさっさと降参する」という住民しか生まれないのではないか。
【沖縄が危ない】石垣島に存在する「おもてなし」の歴史と中国の厚顔無恥 ★(4)
2014.08.15
沖縄県・石垣島に建立された唐人墓
現在の困難な日中関係を考えるうえで、中国人にぜひ知ってもらいたい中国と石垣市の関わりがある。その1つが「唐人墓」と呼ばれる中国風の墓の存在だ。
1852年、苦力(クーリー)と呼ばれる中国人奴隷約400人を乗せた米国の奴隷貿易船、ロバート・バウン号が石垣島沖で座礁した。中国人らは虐待に耐えかねて船長らを殺害し、石垣島に逃げ込んだのだ。
報告を受けた米・英国船が石垣島沖に現れ、兵士らが上陸し中国人を捜索した。中国人128人が兵士に殺害されたり、病死、自殺したりした。
石垣島の人々は中国人を匿い、食糧を与えた。死亡者には墓を建立し、丁重に埋葬した。最終的に、生存者172人が琉球政府の船で福建省に護送された。
中国風の豪華な建築物である唐人墓は128人の霊を慰めるため、石垣市が点在していた墓を集め、1972年に建立した。現在は観光名所になり、市民は「日中友好のシンボル」と呼ぶ。
しかし、現在の中国政府から謝意が示されたことは一度もない。建立に協力したのは台湾関係者だ。
もう1つ、エピソードがある。
1919年、中国人31人を乗せ、福建省を出港した漁船が嵐で尖閣諸島・魚釣島に漂着した。当時、島にあったかつお節工場の労働者たちが中国人を救助し、石垣島に送った。石垣島の人たちも彼らを手厚く保護し、全員を帰国させた。
中国駐長崎領事は翌年、当時の石垣村長・豊川善佐や、かつお節工場の経営者・古賀善次らに感謝状を贈った。感謝状には尖閣諸島を「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記している。中国が尖閣を日本領と認識していた証拠となる感謝状は現在、石垣市の文化財に指定され、厳重に保管されている。
こうした交流の歴史があれば、通常は二国間の友好親善は推進されるはずだ。ところが、石垣の先人たちが中国人を温かく迎えたお返しに、現在の中国がやっていることといえば、尖閣周辺で連日、公船を航行させて「(尖閣は)中国固有の領土だ」と叫び、石垣の領土を略奪しようとする行為である。恩をあだで返すとはこのことだ。
日本としては石垣市の「おもてなし」の歴史を国際社会にも発信し、中国の厚顔無恥を広く訴える必要もあるだろう。
ただ、中国政府は恐らくこうした歴史を一般の国民に隠している。中国に自由の風が吹くようになれば、国民も「正しい歴史」を知ることになる。その日こそ、石垣島の厚い人情が、三たび日中友好の架け橋となるはずだ。
【沖縄が危ない】国境の島々が起こした3つの「奇跡」 空港・甲子園・教科書 ★(5)
2014.08.16
沖縄の離島勢として甲子園に初出場した八重山商工高校=2006年
国境の島々である八重山諸島(石垣市、竹富町、与那国町)は「奇跡の島々」だ。私が記者になって15年間で目の当たりにした、3つの奇跡を紹介したい。
まず、2013年の新石垣空港開港である。新空港は30年以上前に建設計画が持ち上がった。だが、島周辺のサンゴ礁保護をめぐって建設予定地が二転三転、住民同士の激しい対立を乗り越えて、ようやく開港が実現した。
滑走路は旧空港の1500メートルから2000メートルに延長された。中型機の就航が可能になり、LCC(格安航空会社)も参入した。今や、八重山はアジアに開かれた南国リゾート地として急成長しており、観光客は今年、100万人を突破する見通しだ。
従来の常識では、国境とは「辺境の地」である。しかし、石垣島は現在、全国の離島で唯一、人口が伸びているという。「離島=衰退」という旧来のイメージを覆したのだ。
第2の奇跡は、高校野球だ。06年、石垣島の八重山商工高校が沖縄の離島勢として初めて春夏の甲子園に出場した。計3勝を挙げた。
離島の球児は練習相手が限られ、本島への遠征もコストが高くてままならない。だが、大嶺祐太投手(現ロッテ)を擁した八重山商工は、離島のハンディを見事に克服し、地元出身選手だけで快進撃した。
石垣島の子供はもともと運動能力が高いが、中学卒業後は本島の名門校に引き抜かれるのが常だった。そこで、地元住民が有力選手を高校まで島に残す運動を展開した。親を説得し、大嶺投手をはじめとする有力選手の流出を阻止した。球史に残る金字塔は、住民の努力が実を結んだ成果でもあった。
3番目は、石垣市と与那国町が11年、自衛隊や領土についての記述が充実した、育鵬社の中学校公民教科書を採択したことだ。
反戦平和運動が盛んな沖縄では、育鵬社版はあたかも軍国主義の教科書のように誹謗中傷されており、激しい採択反対運動が勃発した。しかし、八重山は尖閣諸島を抱えており、沖縄本島とは違う安全保障の意識がある。2市町は毅然とした姿勢を貫いた。
八重山の住民は、反米軍基地や反自衛隊を叫んでも平和は来ないことに気づき始めている。それは沖縄本島とは違い、中国の脅威と直接対峙する住民が肌で感じるリアリズムだ。
国境の住民の声が海を渡れば、いずれ沖縄を変え、ひいては日本を変える日が来るかもしれない。「自分の国を守れるのは自分しかいない」と多くの日本人が悟るはずだ。それこそ八重山が日本に対して果たすべき「第4の奇跡」かも-と夢想する。 =おわり
■仲新城誠(なかあらしろ・まこと) 1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に石垣島を拠点する地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。同県の大手メディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。著書に「国境の島の『反日』教科書キャンペーン」(産経新聞出版)など。
彼は尖閣問題を取材するため、尖閣諸島を行政区に抱える沖縄県石垣市にやってきた。そこで彼が驚いたのは、住民にほとんど緊張感が感じられないことだった。彼はこう言った。
「尖閣問題の最前線だからピリピリしているかと思ったが…。中国では、国民も『尖閣奪還のためなら戦争も辞さない』という雰囲気ですよ」
石垣市民は確かに尖閣問題への不安を抱えているが、「まさか戦争まではないだろう」と楽観視している。隣国が戦争覚悟でいきり立っている現実を十分には知らない。
中国公船「海警」は2、3隻態勢で尖閣周辺を連日航行しており、日本の巡視船が警告すると、逆に退去を要求してくる。中国が尖閣の強奪に断固たる決意を抱いているのは、誰の目にも明らかだ。
もちろん、すぐに戦争が起きるというシナリオは考えにくい。だが、海警が増派されて、巡視船が圧倒された場合、中国が戦わずして尖閣の実効支配を奪取する可能性もある。これは南シナ海で現に起きている事態だ。
ところが、中国公船と巡視船の攻防は、沖縄本島の新聞にはほとんど載らない。尖閣問題に対する無関心が「反戦平和」の証しであると勘違いしているようだ。沖縄県民もマスコミも、いまだに泰平の眠りから完全には覚めていない。
日本政府は、日本最西端の与那国島で自衛隊配備を進めるなど、中国に対する備えを固めつつある。だが、それだけで果たして十分だろうか。住民自らが「自分の国は自分で守る」という気概を持つこと、いわば「魂の安全保障」こそ、現に求められているのではないか。民主主義社会では、政府を動かすのは、結局は住民の声だからだ。
「尖閣問題はどうすれば解決できるか」という私の問いに、前述の米国人記者は「安倍晋三首相が靖国参拝のような挑発行為をやめ、中国の心情に配慮すればいい」と答えた。
オバマ米大統領が「日米安保は尖閣にも適用される」と明言したことに日本人は欣喜雀躍(きんきじゃくやく=小躍りするほど喜ぶこと)したが、米国人の本音とはこの程度のものである。米国が守ってくれるというのは幻想だ。
韓国に不法占拠されている島根県・竹島の問題も、今や地元では、住民の関心喚起が大きな課題になっているという。武力衝突という最悪の事態、あるいは尖閣が気づいたら竹島になっていた-という大失態を防ぐためにも、沖縄に「魂の安全保障」を確立することが急務だ。
【沖縄が危ない】常軌を逸した県紙の報道 普天間県内移設で反対一色 ★(2)
2014.08.13
米軍普天間飛行場
沖縄県知事選(10月30日告示、11月16日投開票)まで、3カ月に迫った。最大の争点は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題で、昨年12月に県内移設を承認した現職の仲井真弘多知事(74)に対し、移設反対派は那覇市長の翁長雄志氏(63)を擁立した。元郵政民営化担当相の下地幹郎氏(52)も出馬表明している。
政府は、普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設計画を進めているが、沖縄の県紙「沖縄タイムス」「琉球新報」は連日、反対する論陣を張っており「事実上、翁長氏寄りの報道だ」との批判も出ている。
現に2紙は、県内移設をあたかも犯罪と同一視するような論調で、批判報道を展開している。
仲井真氏が昨年12月、移設に向けた埋め立てを承認した際には、琉球新報は1面に「即刻辞職し信を問え 民意に背く歴史的汚点」と題した社説を掲載した。沖縄タイムスは見開きで50人以上もの「県民の声」を顔写真入りで載せ、何と全員が県内移設反対の意見というありさまだった。
県内移設に賛成する県民も存在するのだから、公器である新聞の「公正・中立」という観点からすれば、2紙の報道は常軌を逸している。結果的に、翁長氏に正義があるというイメージを県民に与えてしまう。
県紙の記者にその点を聞くと、「県民が支持しているからこそ、沖縄ではこうした論調の新聞だけが生き残った」と答える。しかし、世論があってマスコミがあるのか、マスコミが世論を作っているのか、現状では正直なところ分からない。
知事選報道で、県紙が「翁長氏寄り」と言われる理由は、普天間飛行場移設問題の報道だけではない。
翁長氏は現在、那覇市が目抜き通りで建設を計画している「龍柱」(龍の形をした柱)をめぐり、保守系の市民らから厳しい批判を浴びている。建設の財源は国から支給される一括交付金2億5000万円だが、市は中国に発注する方針なのだ。
ある県議は「県内に発注すれば安く、雇用創出にもなるのに、なぜ中国なのか。ずっと指摘してきたが、翁長氏に対する批判記事は新聞にほとんど載らない」と不満をぶつけた。
自民党の世論調査では、翁長氏が優勢だという。県紙の紙面づくりを見ていると、報道がそうしたムードづくりに一役買っている印象は否めない。
ただし、日本は民主主義国家であり、報道への抑圧は許されない。沖縄県知事選で問われているのは報道の在り方ではなく、県民が報道から得られる情報をどう取捨選択するかという、有権者としての成熟度だろう。
【沖縄が危ない】石垣島「みのかさ部隊」の真実 私服に鉄かぶと姿で飛行場の建設、補修 ★(3)
2014.08.14
沖縄戦で、石垣島は来襲する米軍を迎え撃つ特攻基地の1つだった。当時、島東部にあった旧陸軍白保飛行場からは、多数の特攻機が飛び立った。この飛行場の建設や補修に従事したのが、1944年に、地元住民から召集された506特設警備工兵隊、別名・郷土防衛隊、そして愛称「みのかさ部隊」だ。
なぜ、「みのかさ」なのか?
物資不足の折で軍服は配給されず、着衣はすべて私服だったからだ。当時を知る宮良祐八さん(87)は「雨が降ると、みのかさ姿だった。頭には2、3ミリの薄い鉄板を切り取った鉄かぶとをかぶっていた」と振り返る。靴のない者はわらじを履き、野良仕事のため田畑に出かける格好そのままだったという。
敵機は日本の特攻機を防ごうと、白保飛行場に連日の爆撃を浴びせた。みのかさ部隊は特攻機の離着陸を可能にするため、敵機が去るのを待ち、モッコで土を運び、スコップで弾痕の穴を埋めた。
作業中に敵機が来襲し、機銃掃射を浴びせることもしばしばで、犠牲者が続出した。部隊の一員だった故石垣正二さんは回想録で「血のにじむような思いで補修したら、翌日はまた(敵機が)来襲して破壊していくという具合で、連日の出動に兵は精根も尽き果てていた」と語る。
それでも作業は沖縄戦終結まで続き、みのかさ部隊は「八重山諸島の戦闘では最も功績が多い」と言われたという。
だが、現在の石垣島で、みのかさ部隊の奮闘が学校で教えられることはない。地元関係者は「敗戦で軍事を語ることがタブーになり、忘れ去られた」と話す。
郷土史家の石垣繁さん(76)は「戦争になったら自衛隊だけが戦うと思っている人が多いが、最後は住民も戦わなくてはならなくなる」といい、みのかさ部隊の「教訓」を指摘する。心ならずも召集された住民たちではあったが、70年前の先人たちは、極限状態で死力を尽くした。
沖縄の平和教育では、戦闘に巻き込まれた住民たちが逃げ惑い、日本軍に虐待され、ついには死に追い込まれた、としか教えない。
しかし、石垣島から出撃した特攻隊や、その出撃を後方支援したみのかさ部隊のように、危機に立ち向かった勇敢な人々もいた。彼らは英雄ではなかったかもしれないが、英雄的な人たちだった。
もし、「有事」が再来したらどうなるか。尖閣諸島を抱える八重山諸島では、それは絵空事ではない不安だ。特攻隊や、みのかさ部隊を教えない沖縄の平和教育からは、「白旗を掲げてさっさと降参する」という住民しか生まれないのではないか。
【沖縄が危ない】石垣島に存在する「おもてなし」の歴史と中国の厚顔無恥 ★(4)
2014.08.15
沖縄県・石垣島に建立された唐人墓
現在の困難な日中関係を考えるうえで、中国人にぜひ知ってもらいたい中国と石垣市の関わりがある。その1つが「唐人墓」と呼ばれる中国風の墓の存在だ。
1852年、苦力(クーリー)と呼ばれる中国人奴隷約400人を乗せた米国の奴隷貿易船、ロバート・バウン号が石垣島沖で座礁した。中国人らは虐待に耐えかねて船長らを殺害し、石垣島に逃げ込んだのだ。
報告を受けた米・英国船が石垣島沖に現れ、兵士らが上陸し中国人を捜索した。中国人128人が兵士に殺害されたり、病死、自殺したりした。
石垣島の人々は中国人を匿い、食糧を与えた。死亡者には墓を建立し、丁重に埋葬した。最終的に、生存者172人が琉球政府の船で福建省に護送された。
中国風の豪華な建築物である唐人墓は128人の霊を慰めるため、石垣市が点在していた墓を集め、1972年に建立した。現在は観光名所になり、市民は「日中友好のシンボル」と呼ぶ。
しかし、現在の中国政府から謝意が示されたことは一度もない。建立に協力したのは台湾関係者だ。
もう1つ、エピソードがある。
1919年、中国人31人を乗せ、福建省を出港した漁船が嵐で尖閣諸島・魚釣島に漂着した。当時、島にあったかつお節工場の労働者たちが中国人を救助し、石垣島に送った。石垣島の人たちも彼らを手厚く保護し、全員を帰国させた。
中国駐長崎領事は翌年、当時の石垣村長・豊川善佐や、かつお節工場の経営者・古賀善次らに感謝状を贈った。感謝状には尖閣諸島を「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記している。中国が尖閣を日本領と認識していた証拠となる感謝状は現在、石垣市の文化財に指定され、厳重に保管されている。
こうした交流の歴史があれば、通常は二国間の友好親善は推進されるはずだ。ところが、石垣の先人たちが中国人を温かく迎えたお返しに、現在の中国がやっていることといえば、尖閣周辺で連日、公船を航行させて「(尖閣は)中国固有の領土だ」と叫び、石垣の領土を略奪しようとする行為である。恩をあだで返すとはこのことだ。
日本としては石垣市の「おもてなし」の歴史を国際社会にも発信し、中国の厚顔無恥を広く訴える必要もあるだろう。
ただ、中国政府は恐らくこうした歴史を一般の国民に隠している。中国に自由の風が吹くようになれば、国民も「正しい歴史」を知ることになる。その日こそ、石垣島の厚い人情が、三たび日中友好の架け橋となるはずだ。
【沖縄が危ない】国境の島々が起こした3つの「奇跡」 空港・甲子園・教科書 ★(5)
2014.08.16
沖縄の離島勢として甲子園に初出場した八重山商工高校=2006年
国境の島々である八重山諸島(石垣市、竹富町、与那国町)は「奇跡の島々」だ。私が記者になって15年間で目の当たりにした、3つの奇跡を紹介したい。
まず、2013年の新石垣空港開港である。新空港は30年以上前に建設計画が持ち上がった。だが、島周辺のサンゴ礁保護をめぐって建設予定地が二転三転、住民同士の激しい対立を乗り越えて、ようやく開港が実現した。
滑走路は旧空港の1500メートルから2000メートルに延長された。中型機の就航が可能になり、LCC(格安航空会社)も参入した。今や、八重山はアジアに開かれた南国リゾート地として急成長しており、観光客は今年、100万人を突破する見通しだ。
従来の常識では、国境とは「辺境の地」である。しかし、石垣島は現在、全国の離島で唯一、人口が伸びているという。「離島=衰退」という旧来のイメージを覆したのだ。
第2の奇跡は、高校野球だ。06年、石垣島の八重山商工高校が沖縄の離島勢として初めて春夏の甲子園に出場した。計3勝を挙げた。
離島の球児は練習相手が限られ、本島への遠征もコストが高くてままならない。だが、大嶺祐太投手(現ロッテ)を擁した八重山商工は、離島のハンディを見事に克服し、地元出身選手だけで快進撃した。
石垣島の子供はもともと運動能力が高いが、中学卒業後は本島の名門校に引き抜かれるのが常だった。そこで、地元住民が有力選手を高校まで島に残す運動を展開した。親を説得し、大嶺投手をはじめとする有力選手の流出を阻止した。球史に残る金字塔は、住民の努力が実を結んだ成果でもあった。
3番目は、石垣市と与那国町が11年、自衛隊や領土についての記述が充実した、育鵬社の中学校公民教科書を採択したことだ。
反戦平和運動が盛んな沖縄では、育鵬社版はあたかも軍国主義の教科書のように誹謗中傷されており、激しい採択反対運動が勃発した。しかし、八重山は尖閣諸島を抱えており、沖縄本島とは違う安全保障の意識がある。2市町は毅然とした姿勢を貫いた。
八重山の住民は、反米軍基地や反自衛隊を叫んでも平和は来ないことに気づき始めている。それは沖縄本島とは違い、中国の脅威と直接対峙する住民が肌で感じるリアリズムだ。
国境の住民の声が海を渡れば、いずれ沖縄を変え、ひいては日本を変える日が来るかもしれない。「自分の国を守れるのは自分しかいない」と多くの日本人が悟るはずだ。それこそ八重山が日本に対して果たすべき「第4の奇跡」かも-と夢想する。 =おわり
■仲新城誠(なかあらしろ・まこと) 1973年、沖縄県石垣市生まれ。琉球大学卒業後、99年に石垣島を拠点する地方紙「八重山日報社」に入社。2010年、同社編集長に就任。同県の大手メディアが、イデオロギー色の強い報道を続けるなか、現場主義の中立的な取材・報道を心がけている。著書に「国境の島の『反日』教科書キャンペーン」(産経新聞出版)など。
この記事へのコメント