京都大学教授・佐伯啓思 民主主義への誤解

 このコラムの掲載は16日の朝、すなわち総選挙の投開票日である。


今回の選挙は、とりわけ重要なものだと思うが、それはこの選挙を、これまでの流れに対してピリオドをうつものにすべきだと強く感じるからだ。

「これまでの流れ」とは、それこそ橋下徹氏(大阪市長)のいう「ふわっとした民意」によって政治が浮遊し、また、政治がその「ふわっとした民意」を当てにすることでたえず政局へと流れてゆく、というこの数年間のわが国を覆う政治的風潮のことである。

 しかも、そこに「政治改革」というきわめて便利で聞こえのよい文言がさしはさまれた。「改革論」はいう。わが国の政治がよくならないのは、官僚行政などのおかげで「民意」がちゃんと政治に反映されていないからだ、と。

 確かに、行政機構にも既成政党にも問題はあったのであろう。それを改革すること自体は必要なことであろう。しかし、「政治改革」が世論の中心を占めるようになって数年、わが国の政治は、足場を失って右へ左へ、前へ後ろへと揺れ動く案山子(かかし)のように、風のふき具合でなんとも落ちつきのない不安定なものになってしまった。

小泉純一郎氏が首相を辞めて以来、6年で6人の首相が交代するというのでは、まともな政治などできるわけはなかろう。

新しい内閣ができれば当初は支持率60%や70%はいく。しかし半年もたたないうちに50%、40%と低落し、そうなれば下方へ働く引力は加速度を増し、あっという間に20%前後へと落下するのである。支持率が20%をきると、「民意」は内閣を見はなした、とマスメディアは報ずる。こうなると、野党はここぞとばかり「民意」をたてに政権を攻撃する。こうしたことが、怨讐(おんしゅう)合戦のように、繰り返されている。

 その責任を政治家にばかり負わせるのは間違っている。マスメディアも、また、われわれ「国民」もいわば共犯者としてこの政治文化を担い、またそれに巻き込まれてきた。その場合にやっかいなことは、まさしくそれが「民主政治」そのものだということである。

 何かで読んだが、今日(こんにち)、各種新聞社やテレビ局が行う世論調査は1年間で総計200回を超えるそうで、確かなことは知らないが、いずれにせよ、間断なく世論調査をしている、という印象は誰もがもっているだろう。これではあまりに「民意」に媚(こ)びているというか、依存しすぎであろう。いくら主権者は国民であるといっても、そんなに毎日、主権を行使しておれば、主権はあまりに安っぽくなってしまう。しかもその「民意」なるものはいったい何ものなのか、誰もわかってはいないのである。

私には、ここに民主政治というものに対するある誤解が横たわっているように思われる。

 いうまでもなく、われわれの政治システムは、議会制民主主義である。これは「議会主義」と「民主主義」が組み合わされたもので、それからもわかるように、もともと議会主義と民主主義はイコールではない。いやそれどころか、民主主義の捉え方によっては、両者は対立さえするのである。

 議会主義とは、われわれが直接に政治に参与して政治決定にかかわるのではなく、それを代表の手に委ねる、というシステムであり、言いかえれば、主権者であるわれわれは、直接にはその主権を行使しないのだ。主権者にできることは、ただ代表を選ぶことだけなのである。

 これに対して、われわれが通常考える民主主義とは、主権者が直接に政治に関わることをよしとする。つまり、できるだけ、個別の政策ごとに主権者の意思が反映されるべきだという。たえず「民意」が反映されるべきなのだ。

 とすれば、議会主義とこの意味での民主主義とでは考え方に大きな違いがある。議会主義とは、むしろ「民意」を直接に政治に反映させない工夫といわねばならない。どうしてか。理由は簡単だ。この現実世界は複雑で、政策立案とはそれほど容易なものではない。われわれ1人ひとりがとても関与できるものではない。だからこそ、代表を選び、彼らの討議に委ね、また、官僚という「プロ」の協力を必要とするのだ。

これが議会主義の考え方である。それはあまりに不安定でご都合主義の「民意」によって政治が不安定化することを避けようというのである。

 この十数年のわが国の政治改革の流れ、そしてこの数年の世論中心型政治は、議会主義を攻撃し、「民意」による民主主義をそこに持ち込もうとするものであった。そしてそれがますます政治を不安定にしたのだ。

 今日(こんにち)、議会主義がうまく機能しているか、というと確かにイエスとは言い難い。われわれの「代表」の見識を疑いたくなる局面は多い。しかし、それでは、「民意」に主導された民主政治がよかったかとなると、そういうわけではない。この風にゆらぐ案山子(かかし)のような政治的風潮にわれわれはうんざりしているのではなかろうか。

 そうだとすれば、議会主義を立て直す以外になかろう。そして、議会主義とは、個々の政策それ自体よりも、「代表者」の信頼性や人物そのものを見極めるわれわれの眼力にかかっているのだ。今回の選挙によって、そろそろ安定した議会政治を取り戻せるか否かは、われわれの「人物を見る眼力」にかかっている。(さえき けいし)

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